
張り子細工の技法は中国から伝わり、桃山時代に京都で起り、江戸時代初期に刊行された俳譜書「毛吹草」に津村(大阪市中央区)の名産品として「張人形」が記されているなど、
大阪が最大の生産地となりました。
張り子の「神虎」は、大坂でコレラが流行した際、薬種仲間が病除けの薬として当時の薬種仲間が「 虎頭殺鬼雄黄圓 ことうさっきうおうえん 」という丸薬を作り、
虎の張り子とともに配ったことに由来すると伝わっています。
約400年の歴史のある張り子の技法は、今も大阪張り子として人々に愛され、面、だるま、張り子の虎などにその技術は受け継がれています。