
和泉櫛の由来については諸説の言い伝えがありますが、6世紀後半の欽明天皇の時代、二色の浜に漂着した外国人、あるいは8種類の櫛づくりの器具を持った神様ともされますが、
櫛の製法を伝授したと伝えられています。
今日でも八品神社では、この由来に因んで櫛の神として天櫛玉命が祀られ、11月に櫛まつりが開催されます。
古代からこの地域の特産物で、平安時代後期に藤原明衡(あきひら)が著した「新猿楽記」に和泉櫛として紹介されています。
中世には宮中などに多くの櫛が納められ、櫛職人が全国へ販売に出かけていたことが知られています。
そして、江戸時代には現在のような産地を形成し全国一のつげ櫛産地となりました。
つげの木を素材とし、小割して乾燥した後、歯を挽き形を整えて磨いて仕上げる昔ながらの手づくりで、
生地が緻密で静電気が起こりにくく長年使っていると髪の毛に艶が出てくると高く評価されます。